第3話 作戦会議

「とりあえず、お金が動かせるようにしましょう。」倉橋は、小林家の全員の前で説明しだした。「縁起でもない話ですが、2次相続を考えるとお母さんが現金を相続しておいたほうが有利です。明日にでも私のほうで現金についてのみの遺産分割協議書を作成して野崎に持たせますから、全員、実印と印鑑証明を用意しておいてください。」

相続税が課せられるような家庭での被相続人の預金通帳は亡くなった時点で現金を動かせなくなってしまう可能性がある。

相続税の申告には土地の測量が必要であったり、また、一部の土地を売却するにしても宅地造成費などがかかったりと、現金が必要となるケースが出てくる。その為、遺産分割協議書、つまり相続人全員の総意でその預金通帳の中身の現金を一部の人のものにする意思表示を行い、そのお金を動かせるようにしておく必要がある。

「次に和男さん、和男さんはお父さんの交通事故の加害者の損害保険会社との交渉にあたって下さい。」倉橋は、和男に指示した。「当然、相手方は示談を希望してきますから、なるべく賠償額を有利に交渉してみてください。ただ、この賠償額は納税額に充てる可能性が多いですから、納税期限に間に合うようにスピーディに行ってください。」

倉橋は、分担できる作業を、宿題のように長男、和男に与えた。

「次に、この土地ですが、これは当初の予定通り売却したいと思いますが、如何ですか。」倉橋は、小林の自家で利用している畑を指して言った。「売却メリットのある土地は、ここしかありません。」

当然、他の土地や建物も売却すればできないことはないが、売却すれば賃料が入ってこない。これは、倉橋特有の理論であるが、相続対策はバランスシートで考えながら行なうというものである。

賃料収入から経費や固定資産税を差し引いたものが現金資産である。

この現金資産と同様な資産の括りの中に不動産があるのであるが、不動産資産が過大であると、固定資産税などの経費が膨らみ現金資産は圧縮されてしまう。また相続税は、亡くなって10ヶ月で課税される負債であると考え、負債の総額は、現金資産と不動産資産を売却して充当できるか、賃料収入等からなるキャッシュフローで賄えるかが重要である。

今回のような、突然、過大な相続税が課税されてしまうとキャッシュフローでも支払えないし、売却できる資産はない、大変危険な状況に陥ってしまうものである。

相続対策で重要なことであるが、生前から、相続税は資産との対比される負債という考え方が重要である。

例えば、銀行からの借入金は、年に数度、返済計画表などが金融機関から送付されてくるから負債としての認識は高く、返済計画などは当然考えるものであるが、相続税の場合、被相続人が亡くなって初めて認識される、突然発生する負債である。

本件の小林家のような場合、不動産資産が過大であるにも拘らず賃料収入は少なく、そのキャッシュフローは相続税の支払いに追いつかない。倉橋流の相続対策、いわゆる資産を増やして減らさない相続対策とは、このバランスシートの中で相続対策に有利な不動産投資を行い、キャッシュフローを高めながら相続税という負債を減らし、結果、納税に耐えうる金銭的体力を整えるというものである。

「この畑は売却してもキャッシュフローに影響しません。」沈黙する小林家の家族全員に、倉橋は言った。「今後の資産維持には、この売却は不可欠です。」

相続税の納税後にバランスシートが悪化し、結局、全財産を失ってしまう人を多く見てきた倉橋の言葉には説得力があった。

「これは親父も納得していたことだから、いいんじゃないかな。」以前、同じ倉橋のレポートを見て亡くなった小林が納得していた姿を思い出しながら和男は言った。

「でも、親戚がなんて言うかね。」トメは多少戸惑いながらも、他に選択肢がないことを知っていた。「売却するにしても、こんな土地、急に買い手がつくかね。」

本件土地は道路からの接道がない、いわゆる袋地である。従って、普通に売ろうと思っても、そう簡単に売れるような土地ではなかった。

「私には、ちょっとした考えがあります。」倉橋は、この土地の公図を見ながらトメに言った。「売却してよければ、有利に売却して見せます。」

この小林家には相続税の納税資金がなく、手っ取り早く現金化できるものは、この土地と遭遇した交通事故での賠償金しかない。なるべく有利に現金化し、納税資金を用意しなければならない。

「しかし、この土地を売却しても、資金は不足しますよね。」和男は、不安げに倉橋に尋ねた。「残りの資金はどうすればよいですか。」

「いいですか、和男さん。」倉橋は、和男をはじめとする小林の家族を前に切り出した。「例えば、この自宅ね。この土地と建物の評価は4億円を超えています。」路線価表と名寄帳の面積、そしてがけ地割合などの根拠を示して説明した。「この土地ね、私が買うとしたらいくらだと思いますか。ま、私じゃなくても構わない。和男さんだったらこの家と土地で4億円も出して買いますか。」

「いやぁ、とんでもない。4億円も出すならもっと豪邸が買えちゃうんじゃないですか。」和男は、倉橋が何を言いたいのか分からなかった。

「相続税の申告をする場合、ここのように路線価が定められているところは路線価を基準に不動産評価を行って申告する場合と、もうひとつやり方があるんですよ。」

倉橋は、小林家の全員を見渡して付け加えた。

「実勢価格の不動産評価による申告です。」
 

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