「先生、残念ですが、本日、父が亡くなりました」債権保全の手続きを進めていたときに、山田から泣きながら倉橋に電話が入った。
山田に父は、亡くなる前に病床で「迷惑をかけたが、後は頼む」と言って亡くなったそうだ。
「山田さん、気を落とさないで、しっかりやっていきましょう」倉橋から出た言葉はこれだけだった。なんと言って励ましたらよいのか、正直、思い当たらなかった。
度重なった詐欺事件の被害者である善良な山田の父が、何も不当なことを行っていないのに、金銭的に追い詰められて亡くなってしまった。法的に救済されず、税務的にも追及を逃れられず、資金難に苦しんで亡くなられた胸中は、山田の父でなければ分からないが、倉橋は、複数のかような事件を目の当たりにしており、今回も複雑な、そして空虚な気持ちの流れを感じて、山田に向ける言葉が見当たらなかった。
不動産詐欺の被害者は、現在、巷で流行っている「振り込め詐欺」の比ではないくらいの額が騙し取られているように思う。「振り込め詐欺」の場合、被害件数が多いこと、金融機関が絡んでいること、被害者は社会的弱者の高齢者が多いこと、そして事件が分かりやすくて検挙しやすいことなどで救済されることがある。一方、今回のような事件は、被害件数は少なく、金融機関等が絡まず、被害者は高齢者ではあるが、裕福と評価されがちな地主、そして事件は複雑であるし、詐欺と言う立証が難しいから、結局、警察も動かないし、裁判所も動きにくい。併せて金融機関に被害がないから、救済措置など行われない。
相続税が課せられる国民の8%程度の資産家と呼ばれている、かような立場の人たちは、自らを救済してくれる機関などなく、今回のように騙されたら最後、取り返しはつかないことを充分認識して、自己防衛策を見出しておかなければならない。
倉橋が経営する不動産コンサルタント会社では、かような現状から、資産家や、不動産投資などを始めたサラリーマンなども含めて会員組織として運営している。これは、倉橋の会社で管理運営している不動産のオーナーの会で、本人は勿論、親戚、知人に至るまで、無料の相談を受けることができる仕組みになっている。そんな関係で、日々、倉橋の会社には、多くの相談が持ち込まれることになる。
「昔買った遠方の土地を造成したら、高く販売できるからやらないか」と言っているとか、なかには「お金に困っているので、15万円相当の植木を、3万円払えば後日に届ける」と言われたとか、普通の人には理解できかねる相談が持ち込まれる訳だが、これらの殆どが、少なからず詐欺的な話である。
今回の事件に近い話も、実は、以前に相談にのったこともあった。そのような場合、「うちは不動産コンサルタントがついているので、そちらに電話してください」といって、倉橋の会社に電話を回してもらうようにしているのだが、概ね、連絡などくることはない。また、「相続対策になるから、新築のワンルームマンションを買わないか」とか、「アパートを建てないか」と言う話も多いが、呼んで話を聞いてみると、概ね収支計画が出鱈目であったり、根拠が見出せないものが多い。中には「借金すれば相続税が下がるじゃないですか」などと、抱腹に値することを平気で言ったりするものまでいる。
倉橋の会社の顧客は、果たして常日頃、このような対処で詐欺に会う確立は低いから良いが、日常的に、確実に不動産に関するトラブルは増え続け、山田の父のように詐欺に直面してしまう人々は後を絶つことがない。
「山田さん、かなり落ち込んでいるようでしたね」山田の父の葬儀の帰り道、倉橋をバックシートに乗せた乗用車を運転しながら、小林が言った。「僕も、山田さんの立場だったら落ち込むかもしれませんね。ま、財産はないから、狙われることはないかもしれませんけど」
「今回の件を決着つけて、詐欺られた土地の分、取り戻すしかないな」倉橋は、今回の件で山田の父が失った資産総額を取り戻すことを考えていた。
今回の件で、殆ど全ての土地に抵当権をつけられ、気がつかずに手続きを怠っていれば、さらに追加担保で土地を取られ、全財産を失うところだった。幸い、銀行が担保として嫌う、古い貸家や権利関係が複雑な土地、そして都市計画道路で収用された土地の残地などが残っているから、これらを整備して価値を高め、不動産価格の低迷している時期に首都圏の収益物件をレバレッジをかけて購入しておけば、ある程度の取り返しはつくものである。
「起きちゃったことは、取り返しはつかないけど、将来は変えられるからな」倉橋は、小林に言った。「突き詰めると、過去って本当は変えられるんだよ。だって、いまを変えれば明日は確実に変わる。明日になれば、いまは過去。嫌なことは忘れて、いまを変える努力をすれば、嫌な過去など、なんてことはなくなるもんだ」
「社長、ラーメン食べません?」小林は唐突に言った。「そこに美味しいラーメン屋があるんですよ」
「お前って、本当に幸せだよな」こういう奴のほうが、精神的なダメージって受けないんだろうなと、妙な関心をしながら喪服のままラーメン屋に入り、豚骨ラーメンを食べた。
「先生、権藤の会社、破産の申し立てをしました」数日たって、篠原弁護士から倉橋に、思わぬ電話が入った。「破産管財人からの通知では、とてつもない数の債権者です。これ、先生が言うとおり、計画的な事件だったんですね」
当初考えていたとおりのシナリオであったから倉橋も小林も動揺はしなかったが、あまりにも早すぎた時期に、頭の中でスケジュールの時間的余裕を探った。
「ただ、一つだけ読めないことが起こりそうです」電話の向こうの篠原弁護士は、少し慌てた口調で言った。「実は、権藤も、末期癌だそうです。余命、幾許もないようです」
先が読みきれない紛争の行方に、暫く、沈黙が続いた。
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