「やはり、裁判所は、消極的ですね」1日置いて、篠原弁護士から倉橋に連絡が入った。
「この事件は、かなり異例で、裁判官自体が不可思議に思っているようです。」
「そりゃぁ詐欺事件って、全部が不可思議っていうものじゃないの」倉橋は、裁判所の判断は想定内の結論だと思った。「そこは先生が、よく説明してもらわないと」
今回の所有権移転禁止の仮処分を裁判所が認めて、仮に命令が出てしまえば、相手方が善意の第三者だった場合、相手方は、とてつもない損害が発生してしまう。従って裁判所としてみれば、今回のように疑わしい詐欺事件など、取り扱いたがらないのが普通だ。
「とりあえず裁判官面談の期日を入れましたので、その時に詳細な説明しようと思います」ちょっと弱気な篠原弁護士は倉橋の指示を待つように言った。「来週の月曜日にアポイントが取れました」
「これ、詳細を説明するには、陳述書などにして渡せたほうが良くないですか」倉橋は経験則上、裁判所の体質的に考えれば、文書で分かり易くまとめて提出しておいたほうが有利であることを知っていた。「べつに篠原先生を疑うわけじゃないから、気を悪くしないでね。裁判官って多くの裁判やってるから、そのときは覚えていても、後で忘れることが多いから記録にしておいたほうがよいと思うよ」
「なるほど。倉橋さんと話していると、どっちが弁護士か分かりませんね」若い篠原弁護士は素直に倉橋の方針に従った。「金曜日の夜に山田さんにも来て頂いて詳細をつめ、土日に私のほうで仕上げるようにしますが、そんな段取りでよろしいですか」
「篠原さんも立山弁護士に似て、休まないね」倉橋は、立山弁護士の若い頃を思い出し、笑いながら言った。「弁護士も、我々コンサルタントの仕事も、経験の数以上の価値はないからね。若いうちに多くの経験を積むには、時間を惜しまず仕事をするに限る。今回の事件は、結構、先生も自信がつく争いになると思うよ」
「では、金曜日の午後10時からの打ち合わせで大丈夫ですか」
昔は立山弁護士と、この時間くらいから朝方まで打ち合わせをしたこともあったが、まさか篠原まで同様な仕事ぶりとは思わなかった。倉橋も小林も、そして山田にも事情を説明して立山弁護士の事務所に集まることにした。
「本当は、山田さんのお父さんに書いてもらうと良いんですが、現在、入院中ということですので、山田さんに事情の説明を頂いて、私のほうで書類に仕上げて提出します」篠原が、山田に説明した。「よろしいですか」
「はい、お任せします」一流企業に勤める山田は、よくもまあこんな時間から会議などするものだとあきれた様子であったが、覚悟を決めて参加してくれた。「文書の体裁は、先生のほうでお願いします」
「では、行きます。まずは、今回の事件の経緯をまとめましょう」篠原が、作成の段取りを言った。
「ちょっと待って」倉橋は、すかさず篠原弁護士を制止した。「この事件の場合、何でこんな話に乗ってしまったかの心象を書かないと、裁判官は協力してくれないと思うよ。前の詐欺事件で売却した土地の譲渡税を払うことが出来なかった、という所から説明しないとリアルな陳述書が作れないと思いますよ」
裁判に提出する陳述書や準備書面の類は、裁判官が目を通す前に裁判の進行を行ったり、準備などを行う書記官らが目を通すことになっている。従って、この書記官らの心象が裁判官に伝わり、裁判の流れが決まってくることから、裁判所に提出する書類などは、よりリアルに書き込む必要がある。これによって、裁判の流れが大きく変わってくるものだ。
「なるほど、倉橋先生の作戦は、弁護士としても参考になります」若い篠原弁護士は、このときから倉橋のことを先生と呼ぶようになった。「しかし、今日、全部作ろうとすれば、朝までかかるかもしれません。もちろん私は構いませんが、大丈夫ですか」
「ここは慎重に準備をする必要がありますから、気を抜かずに、また、時間も気にせずにいきましょう」倉橋は、小林、山田に目配せをして言った。
「では、山田さんが陳述書を書く理由から行きましょう」篠原弁護士はパソコンに向かい、5枚あるモニターをそれぞれ、倉橋、小林、山田に向け、書き込んでいる内容が分かり易いように言葉を発しながら、すばやくパソコンのキーワードを叩き出した。「私は、今回の事件当事者の山田の長男です。父から本件の話を聞いて驚いており、詳細について調べました事実を本書で述べたいと思います。こんな書き出しで、よろしいでしょうか」
「良いんじゃない」倉橋は、山田に確認するように言った。「事件の内容に入る前に、現在山田さんのお父さんが入院している背景を書いて、だから私が代弁して書いている、という体裁のほうが良いと思いますよ」
「そうですね。では、現在、父は入院中の為、私が父に代わって、父から聞いたこの事件の経緯を述べたいと思います」こんな感じですか、というふうに倉橋と山田に篠原弁護士は同意を求めた。
「そうだね、そこは病名と病院名なども記載したほうがリアルになるね」倉橋は篠原弁護士に指示をしながら「山田さんのお父さんって、心筋梗塞でしたっけ」
「いいえ、実は、末期癌なんです」山田は、今まで話さなかった事実を告げた。「もちろん、父には伝えていません」
それを聞いた篠原弁護士をはじめ、倉橋、小林は、深夜の弁護士事務所で、この事件の解決を早めなければと、セントラルヒーティングの暖房機が切れて薄寒いのに、何とも知れず、背中に汗が流れるのを感じた。
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