山田の父が意識を取り戻したのは、およそ1週間後であった。
脳梗塞。実に危ない状態が続き、かろうじて命は取り留めたが、軽度の言語障害と全身麻痺は、将来にわたっても治ることのないほど重傷であった。
山田は、忙しい時間を縫って父の病院に通い、ことの成り行きを大雑把ではあったが把握し、現状、どのようになっているのかを調べだした。父の話から、姉の夫である小川が関与していることは間違いがなく、小川に聞けば父より正確に事の成り行きがわかると考えた。
「お兄さん、うちの父と打ち合わせをして進めている事業計画のほうは、うまく行ってるんですか」山田は、取り急ぎ、まずは小川に電話をしてみた。「権藤さんという人と、特別養護老人ホームを建築するという話を進めているって、親父からは聞いているんですが」
「ああ、その件は大丈夫だよ、かずちゃん」小川は山田の姉と同じように山田のことをかずちゃんと呼んでいた。「権藤さんは立派な方で、今回の件も、採算度外視して協力してくれているんだ」
「しかし土地の登記簿謄本を取って調べたら、この土地、既に他の会社に転売されてしまっているみたいですよ」山田は、その土地が既に第三者に転売されている事実から、多少、疑って小川に言った。「普通、許認可を取る為であれば、こんなことしなんじゃないですか」
「かずちゃん、何か疑ってるんじゃないのか」小川は、急に態度を変えた。「あんたはサラリーマンなんだから不動産のことがわからないんだ」素人なのだから、口出しはしないでくれと言わんばかりの言いようだった。
「ちょっと待ってください。登記簿謄本に、売買で所有権が2回も移っていれば、転売されたんじゃないかと疑うのもしかたがないんじゃないですか」山田は、この義理の兄の高飛車な態度がかねてより気に入らなかったから、多少、厳しい口調で言った。「お兄さんだって、この事実を知っていたら疑って掛かったって、おかしくないと思いませんか」
「なにっ、かずちゃん、俺を疑っているってことか」なかば、喧嘩腰のような態度で小川は山田に食ってかかった。「俺は、その登記簿謄本は知らないが、俺も権藤さんも、お前の親父のために頑張っているのに、そんな言い方をされるなんて心外だぞ」
「でもね、お兄さん。これは誰が聞いてもおかしな話だと思いますよ」たまたま不動産会社に勤めていた友人に、この話を聞いてもらったときの反応を再現したように山田は言った。「権藤さんの会社が許認可を取る工作のために所有権の移転をした所までが事実としても、それを第三者に転売していることを考えると、疑うなというほうがおかしい話ですよ」
「お前は、善意のわからない男だな」小川が山田に対して、初めてお前という言葉を吐いた。「疑いたきゃ、疑えばいい。そこまで言うなら、後は、お前が勝手にやれ」
ガチャン!と、電話は切られた。
山田は、この時点で頭の中が真っ白となってしまった。どの話も、上場企業に勤めている山田が考えられる常識の範囲を超えることばかりで、訳がわからなくなっていた。いちばん事情がわかっている筈の小川からの情報は途切れ、目の前で行われている行為が不動産取引では通常に行われているものなのかも判断ができなくなり、実は、小川が言ったように自分の考える常識というものが、不動産業界では非常識なのかもしれないなどとも考えてしまった。
「お前さ、この間、これってありえないとまで言っていたよな」山田は、会社帰りに、不動産会社に勤める友人の山本を訪ねた。お互いの会社で出来る話でもないので、山本の会社近くのモダンな居酒屋で、早速、山田は用件を切り出した。「これって、義理の兄貴がいうには、よくある話のようにも聞こえたんだけど」
「馬鹿だな、誰が考えても、この話はおかしい」注がれたビールを飲み干すと山本は豪快に笑いながら言った。「ま、その権藤の会社に移転するというところまでは百歩譲ってあったとしても、その後、この土地が第三者に転売されてしまえば、お前の親父は、その新所有者に対抗できない。これ、常識」そう言った後に、今度はまじめな声で言った。「これは、詐欺かもしれないぜ」
「そうすると、小川も怪しいってことかな」山田は、先日の電話の様子を山本に伝え、同意を求めるように言った。「あいつ、グルだったのかな」
「ま、グルとまでは言えないかもしれないけど、権藤とは特別な関係だろうな」山本は推理するように山田に言った。「少なくても、金はもらっていると思うな」
そういえば、姉からは、小川の会社の経営は厳しいということを聞いていたのに、小川は新車のベンツに乗っている。確か、以前、小川の会社の資金繰りが厳しいということで、父は姉に多額な資金を貸したということを聞いたことがあった。
「ところで、山田。お前、権藤とかいうひとに連絡は取ったのか」山本は、テーブルの上に乗った料理を慌しくつまみながら言った。「だいたい、その権藤の会社って、実在するの」
「ああ、一度、電話したことがあるけど、小川とあまりかわらない」小川と電話で話した後、山田は権藤に電話を掛けたときのことを話した。「私は、あなたのお父さんに依頼を受けて許認可の申請を行っており、間もなく、その許可もおりる予定だと言ってた」
「で、その一番大事な第三者に譲渡したことは確認したのか」山本は、乗り出して聞いた。
「その許認可をとる為にいろいろな工作をしていて、権藤の会社からの所有権の移転先はパートナーだとか言っていて、何の問題もないということだった」山田は、その権藤の話を聞いて、本当に問題がないことを祈っていた。「親父には、経緯について逐一報告していたし、許認可の申請関係の書類も手元にあるはずだということを言っていてさ、調べたら確かに申請関係の書類は家にはあったんだけどな、山本、どう思う」
このとき、まだ、二人には、心のどこかで権藤を信じたい気持ちで一杯だった。
|