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1997年。今後の日本経済動向を考える。


  私自身、かつての「不動産の仲介」の仕事から遠ざかり、本格的にこの「不動産コンサルタント業」を始めてから、丁度、 今年は10年目となり、ひとつの「節目」を迎える年となった。
  どうも私のような「仕事」をしているひとの「数」がいまだ少ないせいか、色々な「仕事」を持ち掛けられ、 お陰さまで本当に楽しく、忙しい毎日を送っている。

そしてまた、それぞれがひとつとして同じ「仕事」はなく、日々「仕事」と「時間」に追いかけられ、振り返ってみると、 あっ!という間に「10年」という月日が経ってしまった、というのが正直な実感である。

  もともとは「相続対策」「不動産投資」「建築コンサルティング」「不動産売買」などから始まった「コンサルタント業」で あったが、この当社発足からというものは「賃料の督促手続き」「建物明渡し請求手続き」のような「物騒」なものから、 「借地」の整理等に至るまで「仕事」のアイテム数が極端に増えてしまった。

  さらに最近はあちらこちらに呼ばれては「講演」や「執筆」の依頼を受けたり社団法人「全国賃貸住宅経営協会」や 「全国賃貸管理業協会」その他の団体の活動などもご協力させて頂いたりしている。

  結果的に、これらの「仕事」は、 すべてが「面白く」、また非常に「楽しい」のである。

  考えてみれば「仕事」とはもともと楽しいものであるのに、どこかの段階でつまらないものに「誰か」がしてしまったのではないか。 私は、現在の「仕事」が非常に気に入っているということもあるが、どうも分析してみると、根底には「職人」的な気質が あるような気がする。

  かつて「仕事」とは、その「仕事」の「出来栄え」で、評価されてきた。また、その「評価」については顧客からも評価され、 社会的にも評価され、そしてまた、自分自身が「仕事」に対して評価できた。 特に「職人」の仕事では、そういう「仕事」のなかに「一貫性」があり、仕事の中に「自己責任」と併せて「自己満足」と 「充実感」が発生するものである。したがって当然「仕事」は楽しい、筈である。

  ところが、いつの日にか「企業の合理化」が進み、「大量生産」にあわせて「仕事」が「分業化」し、「一貫性」から「充実感」 に至るまでが失われてしまった。 併せて、生産の「機械化」が進んで商品にも「個性」が失われるのと同時に、「人間個人」についても、最近はだんだん 「個性」が失われてしまったような気がしてならない。

  何だか、いまの「日本」は、「合理化」「機械化」が進みすぎて、一番大切な「人間性」や「個性」までを失ってしまったのではないか。 今後の日本に大切なことは「日本人」が「日本人気質」を取り戻し、併せて「企業人」が「職人気質」を取り戻すことではないか。

どうも戦後走り出してしまった「ものまね型の資本主義」には限界が来たような気がする。

  「金融機関」が本来の「仕事」を取り戻し、「官僚」「政治家」も本来の「仕事」に対する秩序を取り戻し、「製造業」の人たちが 「開発」に力を入れて「新商品」を生み出し、さらに「専門職」の人たちが自分の「仕事」に本気で取り組めば、基本的に「日本」の将来は明るい筈であるし、「仕事」だって、やってて楽しいはずである。

  最近の「消費性向」は「女子高生」に受けるものでなくては売れないというのがあるがこの「マーケティング」による 「商品開発」というものも「個性」のない「平準化」した商品を「量産」してしまう結果を生んでしまうものである。

  確かに「マーケティング」も大切であるが、企業の「個性」や「ポリシー」まで捨ててしまうというのでは、 やはり「仕事」として「面白味」は失われてしまうし「商品」も確かに「悪くはない」が別に「欲しくもない」ものが 「市場」に氾濫してしまう結果となってしまうのである。

  たとえば最近の住宅メーカー等に言えることであるが住宅展示場に行ってみても、確かに「悪くはない」とは思うが これといって新しいものはない。 「ローコスト」「工業化」を進めることによって、住宅にも「個性」はなくなってしまった感がある。
これは、いわゆる「士(さむらい)」商売、つまり弁護士とか税理士とか、最後に「士」のつく仕事なども、 上記の「一貫性」から「充実感」という意味では「職人」の世界である、と考えている。

本来、職人とは「仕事」に対して結果で勝負最近、特に思うことは「家」である。
  「家」はこだわって作ってみるとけっこう楽しいものなのに、案外、「ハウスメーカー」のモデルルームを見て、 同じようなものを作ってしまうことが多い。
  


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