第15話 竣 工

「先生、これ以上は難しいです。」結局、日研土木の土木部長、嵯峨野からの見積書だけしか提出されず、他の1社は自ら本件工事から降りてしまった。「なんとか500万円プラス消費税でまとまりませんか。」

「まさか嵯峨野さん、談合じゃないよね。」倉橋は笑いながら嵯峨野に言った。「もう1社は降りちゃったんだよね。」

「そうでしょう。」嵯峨野は、絶対的な自信を窺わせた。「この工事、この金額で請け負う所はありませんよ。」

倉橋は、見積もり金額を精査しながら、嵯峨野に感謝していた。

その後、医療コンサルタントの高橋を交えて、テナントとの交渉を積み重ねて、結局、賃料は月額280万円、エレベーターのメンテナンス費はテナント持ちということでまとまった。また、某地方銀行の塚本との交渉により、2億4000万円を金利2.1%、30年返済で調達することができた。

賃料収入280万円×12ヶ月で年間3360万円、これから固定資産税140万円、受水槽清掃費7万円、ローンの返済1080万円を差引くと、2133万円のキャッシュフローが生じることになる。これであれば、金利が6%程度に上昇しても、充分、余剰資金が生じることになる。倉橋の思惑どおり、結果が出た。

「本当に、こんなうまい話って、あるんですか。」倉橋の説明を受けながら、小林の長男和男が言った。「何だか、夢のようです。」

「いや、このキャッシュフローには落とし穴があります。」倉橋が言うと、小林家全員が一瞬、不安な表情になった。「本件事業の初年度には、いろいろと諸経費などが掛かりますから、所得税はあまりかかってきませんが、銀行への返済金の内、元金充当分は、資本的支出ですから所得税が掛かってきます。」倉橋は、パソコンの数字を指差して分かりやすく解説した。「本件の建物は重量鉄骨の建物で減価償却は少ないですから、このキャッシュフローに元金充当分を足して、この減価償却分を引いたものに所得税が掛かってきます。」

「なるほど、結構、税負担は重そうですね。」和男は言った。「将来、先生に節税も考えてもらわないといけないようになりますね。」

「正に、そうなんです。投資効率の良い投資をすればするほど、税負担が重くなりますから、さらに不動産を購入するなどして節税するしかないんです。」倉橋は、笑いながら言った。「でもね、税金を支払わないと、結局、お金って残らないようになっていますから、結局、儲けて支払うものは支払うという姿勢が健全な姿です。」

「先生、私ら、何にも分かりませんから、全部お任せしてよいですか。」母トメが倉橋に言った。

「もちろんです。」倉橋は、自信ありげに胸を張って言った。「我々の仕事は、不動産のマネジメントを主体としています。任せておいてください。」

その後、工事は着々と進み、竣工に至るまでは、およそ10ヶ月を要した。現場事務所には、2週間に1度の割合でキーマンを集めてミーティングを重ね、スポット的な事項は電子メールのやり取りで解決した。その甲斐あって、何のトラブルもなく竣工までこぎつけることができた。

「工事の関係業者さん、ならびにテナントの皆さん、お陰さまで、かくも立派な医療テナントビルが竣工いたしました。」竣工式の会場、倉橋は挨拶をした。「私は、かようなテナントビル建築に関し、従来のような箱もの造り一辺倒のやりかたに、いつも疑問をもっておりました。この度、本建物のような複合医療テナントビルとしてのコンセプトを明確に打ち出し、地域社会に貢献できる、誠に意味のある建物の竣工に携われたことは、不動産コンサルタントを職業とする私の誇りともいえる出来事です。今後、この建物を進化させ、生命を植え付けて頂くのは、テナントの皆さんです。私共も、一緒に協力させて頂きますので、どうか、この建物の生命を永遠に絶えさせることなく努力してまいりましょう。竣工、誠におめでとうございました。」

倉橋の挨拶が終わり、建築会社の社長の挨拶が終わると、調剤薬局の部長、三橋の乾杯の挨拶で竣工式は酒宴となった。

小林家の一員は、ビールやら日本酒やらを来賓に注いでまわり、和やかな雰囲気のなか竣工式も終わりに近づいた。

「それでは、最後に施主の小林さんから一言を頂戴します。」司会役を務めていた嵯峨野が一同を静粛に導いた。

「はぁ、私はうまく人前ではしゃべれませんが、私の気持ちを皆さんに伝えたいと思います。」

口数の少ないトメは、俯いた表情で語りだした。

「私の主人は、先日、交通事故で亡くなりました。また、その主人の母は、主人が幼い頃、ちょっとした病気で亡くなりました。主人は、いつも、この近くに病院さえあれば、主人の母は亡くならずに済んだのにと、ずっと悔やんでました。」会場の全員が、水を打ったように静まり返った。「今回、倉橋さんをはじめ皆さんのお陰で、主人の思いを実現でき、本当に感謝しています。また、ご近所の皆さんも、きっと喜んでくれるに違いありません。」

トメの目には、涙が一杯だった。

そして、しばらく絶句した後、ぽつんと言った。

「ただ、残念なのは、ここに主人がいないことだけです。」流れつづける涙を堪えずに、最後に一言付け加えた。

「本当に皆さん、ありがとうございました。」

会場が、大きな拍手で湧き上がった。

拍手をしながら、涙ぐむものも多かった。

そして倉橋の目にも、涙が溢れていた。            

(完)

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